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元東映プロデューサー田中憲吾の芸能界回顧録ブログ

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プロデューサー時代の俳優女優さんとの交流記録や

時代劇・ドラマの制作秘話など芸能界の裏話エピソードをつづったブログ

古谷一行さん 息子の活躍に思わず笑顔


このブログでは、東映プロデューサー時代の俳優女優さんとの思い出や、時代劇・ドラマの制作エピソードを振り返る回顧録としてブログに綴っております。

今日は古谷一行さんとの思い出を書きたいと思います。

これも1999年6月23日に日刊スポーツで連載させて頂いていた「カメラの向こうで 素顔のスター」というコラムが元になっています。

古谷一行さん

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

古谷一行さんは俳優というより大企業の部長みたいな人。

お酒もたしなむ程度で、仕事と私生活を混同しない。

全てに紳士的なのだ。

そんな一行さんと去年の時代劇「貧乏同心」(ABC系列)に続いて、

現在は「京都始末屋事件ファイル」(ABC系列)を撮影中だ。

常に共演者やスタッフにも気を遣い撮影現場の雰囲気を和らげてもらっている。

一行さんといえば、今や人気急上昇中の「Dragon Ash」のボーカル、

降谷健志君のお父さん。

ロケに行くと、女子高生に

「降谷さんのパパや」

と囲まれ、

喜怒哀楽をあまり顔に出さない一行さんも、

このときばかりは表情も崩れっぱなし。

一行さんも俳優座の下積み時代にバンド「ザ・ドリンカーズ」を結成、

23歳から28歳まで活躍したという。

飲みすけ仲間の集まりでメンバーは

橋本功(パーカッション)

横内正(フルート)

新克利(ドラム)

一行さんはボーカルを担当していたというから、

息子さんの音楽の才能は父親譲り。

「息子が音楽の世界に進むようになったのは、

僕の影響があったかもしれないね。

ヨチヨチ歩きの頃から、

大好きだったビートルズや吉田拓郎の曲を一緒に聞いていた

中学一年からギターを始め、

仲間とバンドを作り、彼なりに活動をしていたんだ。

高校生の時に『大学より音楽の道に進みたい』と相談されOKしたんだけど

こんなになるとは・・・。

女房が本当に喜んでいる」

と目尻を下げながら語っていた。

ゴルフ好きで撮影が早く終われば練習場へ直行、

黙々とクラブを振る。

ハンディ12。ゴルフに対しては「楽しむもの」という哲学を持ち、

招待やギャラをもらってプレーするテレビ番組などは敬遠。

ただ7月から9月まではコースに出ない。

理由は「大汗かきなのでプレーどころではない」のだ。

「京都始末屋事件ファイル」の撮影が終了すると、

9月2日から約1ヶ月にわたって

舞台「マディソン郡の橋」公演が待っている。

東京、大阪など6ヶ所で上演。

ベストセラーの世界初の舞台化だけに楽しみだ。


マディソン郡の橋

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