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元東映プロデューサー田中憲吾の芸能界回顧録ブログ

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プロデューサー時代の俳優女優さんとの交流記録や

時代劇・ドラマの制作秘話など芸能界の裏話エピソードをつづったブログ

落合博満さん 傷害保険4億円!?実は…


このブログでは、東映プロデューサー時代の俳優女優さんとの思い出や、時代劇・ドラマの制作エピソードを振り返る回顧録としてブログに綴っております。

今日は落合博満さんとの思い出を書きたいと思います。

これも1999年8月18日に日刊スポーツで連載させて頂いていた「カメラの向こうで 素顔のスター」というコラムが元になっています。

落合博満さん

1953年12月9日生まれ、秋田県出身。

小学校から野球を始め、秋田工から東洋大に進んだが、3ヶ月で中退。

2年間のブランクの後、東芝府中に入り、

78年にドラフト3位史上最年少28歳で三冠王、

85、86年にも連続三冠王。

86年末に中日移籍。

93年末にFA宣言で巨人に。

96年には日本ハムに移籍し98年末に引退。

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

優勝請負人といわれた落合博満さん。

1993年末、当時史上最高の契約金4億円で

中日から巨人にトレードされた。

その直後の翌年1月中旬、

高橋英樹主演「桃太郎侍」(読売系)

のゲスト出演を依頼したことがある。

本人からはOKの返事をもらったが、

キャンプ直前の時期だったこともあり、

巨人軍サイドから「怪我でもしたら・・・」とクレーム。

そこで傷害保険をかけ記者会見。

話題の人の時代劇初出演とあって約200人を超す報道陣が詰めかけ、

小さな会議室は超満員。

保険のことに質問が集中したが

「金額は極秘」で通した。

だが翌日のスポーツ紙は

『4億円の保険をかけて大立ち回り』

という大見出し。

実際は4億円どころか、

1日保険の掛け捨てで払ったのはたった1200円、怪我の場合は最高50万円。

今だから言えることだが、当時は口が裂けても金額は言えなかった。

撮影前日に高橋英樹さん、落合夫婦、息子さんの福嗣君、私の5人で食事をした。

野球に関しては彼なりのポリシーがあるのだろうが、

私は突っ張っているという印象を持っていた。

だが、グラウンドで見せる厳しさはなく、

温和な態度に驚かされた。

そして信子夫人も恐妻、悪妻と言われていたが、

素顔はよく気のつく気さくな人だった。

スポーツ選手だけにカンもよく、

立ち回りシーンもスムーズ。

しかし、驚いたのはお父さんと一緒に出演した福嗣君の度胸。

監督がOKを出したのに

「すいません。もう一度やらしてください」

と食い下がっていた。

この大物ぶりは父親譲り?

撮影後、落合一家に感謝の気持ちを込め食事に誘い、

帰りはタクシーを呼んだが、

落合さんは

「憲吾さんの車に乗る」

と強引に乗り込み、京都駅まで送ることになった。

だが外は大雪。

ハンドルを握りながら

「保険も切れているし、もし事故でも起こしたらどうしよう。

巨人軍になんと言い訳したらいいのか。」

と頭の中は真っ白。

一家が乗ったひかり号のドアが閉まった時には、

思わずホームに座り込んでしまった。

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